盛岡町家について
外観の特徴
盛岡の町家は、柱立ての下屋付で、道路と並行に屋根の棟を持つ平入り(ひらいり)がほとんどです。
この下屋は、青森県、秋田県境北部にみられる「こみせ」(木造アーケード)が変化し、
それぞれの家事用の内土間に変わったものです。
藩政時代の古絵図に描かれた仙北町の街並みは明らかに「こみせ」を示しています。
馬町に馬検場があった明治時代に、道一杯に並ぶ馬を避けて下屋下を歩いた話も残っています。
ちなみに新潟地方では「雁木」と呼ばれています。
また、盛岡町家の特徴を持つ町家は、県内各地の宿場町等にも見られます。
一方、県南の旧伊達領の町家は違った特徴を持ちます。
このことは、南部町家と呼ぶ方が正しいかもしれません。
店じまいの戸締りは内側の蔀戸(しとみと)、大戸(潜戸付きの戸)で仕切られます。
下屋は住居専用になっても外部的に残ってきました。その後、明治後半にガラスが入り、
道路側にガラス戸が建ち、下屋は殆んど内部下され、現在の姿になりました。
また、町家は隣家と空地が殆んどありませんが、それぞれ戸建て独立して建築されています。
明治以降の近代化、身分の自由化を背景にだんだん背が高くなり、贅をつくす町家もつくられます。江戸時代に近い古いタイプは背が低く、表2階のみという特徴があります。
屋根の重なり具合で、高いほうが新しい建築と見て良いようです。
関西の町家※と比較してみると、下屋は柱を持たず、母屋から突き出す形式で、
母屋の総2階が強調されます。盛岡町家は下屋が通りに面し、母屋が引く形になります。
※関西の町家
内部の特徴
町家のかまえは、表通りから母屋、坪庭、土蔵と並びます。
そして、表から裏まで通り土間が通り、土足で奥まで行けます。
盛岡では、昔は「ロジ」と言いました。
子供たちの遊び場になり、荷を奥の土蔵に入れるためや汚物の汲み取りの通路利用されてきました。この配置は、近世以降の全国の町家でもほぼ同じです。
盛岡町家の特徴は、母屋の「見世(ミセ)」に続く中の間、「常居(ジョイ)」にあります。
この部屋は主人お仕事場で、家の中心として神座も兼ね、立派な神棚があり、
基本的に二階をのせません。
天井もない吹き抜けにして、屋根を支える木組みを見せる空間にします。
地元では「主人を足げにしない」「出世を妨げない」ためといわれています。
常居に続いて食堂にあたる「台所(ダイドコ)」、または「座敷」となり、この前か奥の通り土間に水場、かまどを設けます。
ところが、中の間と台所の意味と位置は、京町家に代表される関西系町家と大きな違いがあります。
京町家は、中の間が台所にあたり、みせで働く人、外からの人と家の人が食事をしたり玄関先のような使われ方をしています。
二階ものって、吹き抜けにはしていません。吹抜けは、この台所前の通り庭に竈があり、その煙り出しのためにあります。
「火ぶくろ」と言っています。
二つ目の特徴で、常居は、表(店)と裏(家)に空間を二分し、
表の2階は古くかは店の雇い人の部屋、臨時の宿、倉庫等に利用され、昭和に入ると客用座敷に改造される町家が多くなります。
明治以降町家に見られる奥二階を持つ場合は、女衆の部屋等に利用されてきたようです。
つまり、常居は、家を私的、公的空間に分ける役割を持っています。
三つ目は、神棚は南向き、東向きを基本とし、通り土間はこれに反対する位置に作られます。
これは、街区のなかで、各町家の通り土間と居室が交互に並び、木造の薄い壁で接する家境でもプライバシーが保てるよう、
間取りによって都市に住まうルールがつくられています。
盛岡町家借上げ・改修活用事業について
「大慈清水御休み処」(だいじしみずおやすみどころ)
この町家は、明治30年頃に、八百屋「八百勘」の大澤家町家として建築されました。
昭和の初めに、大掛かりな改造をして、前2階を座敷にし、吹き抜け奥に 2階を増築しています。
戦後は、借家として、診療所、電器店の店と住まいに利用されてきましたが、空家となり、解体して駐車場化される可能性がありました。
このため、平成19年に任意団体盛岡まち並み塾で、お借りして、空家町家の再生第一号として取り組んだ施設です。
賛同者からの借入資金(一部、市助成金)で復元修理し、会員、地域住民、ボランティアサポーターの手を借りて、次のように運営しています。
「特定非営利活動法人盛岡まち並み塾」の事務所であり、また多くの方々に盛岡町家の魅力を使いながら知っていただけるよう
地域を訪れる方々への観光案内所、盛岡町家見学施設、喫茶運営、レンタルスペースとしてオープンしています。
「盛岡町家三㐂亭」(もりおかまちやさんきてい)
毛皮加工販売、輸出も手掛ける毛皮商・藤原峰治商店の町家として大正8年に取得された「旧藤原家町家」は、昭和49年頃まで使われていました。一階は店と住居、右側間口2間部分は貸家、二階は住込み従業員用(後、4室間貸し)として使われていた町家です。
盛岡市は平成17 年度から「まちなみ景観」プロジェクトに取組み,19年度「盛岡街並み保存活用計画」を策定、21年度から国土交通省の「街なみ環境整備事業」を導入しました。この中の重要施設整備の1つとして旧三原家(藤原家町家)を採択し、平成22年に所有者より土地建物の買取申入れがありましたが市は突然のため断念することとなり、有志により取得されました。
長い間空家だったこともあり急速に老朽化が進んでいたため、修理工事費用の一部に盛岡市市民協働推進事業補助金を導入し、保存のための本格的な修理・修復工事が行われました。
現在は盛岡町家「三き亭」として運営しています。イベント時公開、レンタルスペースとして利用することができます。